板垣駿河守信方(いたがきするがのかみのぶかた):武田軍の超タカ派、野心家。駿河勢の侵攻排除(福島乱入事件)に武勲を上げ、この頃生まれた信玄の教育係となる。主君である信虎を無血クーデーターにより排除し、諏訪侵攻により茅野市の上原城主となる。志賀城攻略では敵軍500人を切り倒し、その首を槍に刺して敵城の前に見せしめとしてかざすなど非情な面を持ったとされる。1548年上田原の戦いで戦死。このとき教え子の信玄は初陣であった。時は進み320年後、甲府城を占領した”乾”という男が信方の子孫と名乗り、板垣と改姓した。板垣退助である。